File10. 小平 龍世/Ryusei Kodaira

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本インタビューについて

現在、ドイツ5部のクラブでプレーしている小平 龍世さんとの対談です。(以下、敬称略)

プロフィール紹介

◯名前:小平 龍世 (Ryusei Kodaira)
◯愛称:Porcino(ポルチーノ)
◯出身:千葉県
◯所属クラブ:
→ 松戸市立栗ケ沢中学校サッカー部
→ 市川ガナーズu18
→ TuRa Niederhöchstadt(ドイツ7部)
→ RSV Würges(ドイツ7部)
→ SpVgg.Eltville(ドイツ6部)
→ SV Niedernhausen(ドイツ6部)
→ SC Hanau 1960(ドイツ5部)

Q.ドイツに渡航するまでの経緯を教えてください。

小平:サッカーを始めたのは5歳ぐらいで、地元の少年団のようなところに所属していました。中学校では部活に入ったんですが、そこからどっぷりサッカーに浸かるというか、もっと楽しく感じるようになってきて。高校はサッカーが強いところに行きたいなと思うようになりました。
強豪高校に練習参加したり、スポーツ特待生のような形での高校入学を目指したのですが叶わず、受験で入ろうとしたところも落ちてしまったので、中学卒業後は市川ガナーズ(旧アーセナル市川)というクラブでサッカーを続けることになったんです。

そのクラブがたまたま、海外との繋がりを持っていたり、海外に選手を送っていきたいという方針だったこともあって、海外でサッカーすることを意識し始めました。高校2年生の時には既に、「ドイツにチャレンジしたい」という風に思っていましたね。

高校を卒業して7月にはドイツにきました。はじめは7部のチームからスタートしましたが、6部のクラブを経由して、現在は5部のクラブでプレーしています。

ちなみに、Porcino(ポルチーノ)というのは自分の愛称で、みんなには”ポルチ”と呼ばれています。日本でもドイツでも、愛称で呼ばれることの方が多いですね。

サルウェブ:高校に進学するタイミングでなかなか思うように行かなかった経験が、ある意味最初の”挫折”というか、現在につながるバネになっているのでしょうか?

小平:正直相当応えました。今までの自分のサッカー人生を振り返っても、その時期が自分の中で最も(精神的に)落ちていた時期だったと思います。特に自分は高校サッカー選手権に憧れていましたし、周りの友達が強豪校に進むと言っていたこともあったので、余計に(強豪校に入れなかった)ショックは大きかったです。

逆に、この経験があったから今ドイツにいるというのはあると思います。恐らくもし行きたい高校に行けていたら、大学サッカーだったり、Jリーグでプロになることを目指していたと思うので。大きな分岐点だったと思います。

小平:ユースで入ったクラブが海外遠征を頻繁に行っていたり、同い年の選手でも、「高校を卒業したらすぐにスペイン行くんだ」とか、「アメリカの大学でサッカーする」という目標を持っている選手が多かったんです。そういう、高校サッカーからJリーグを目指すような選択肢とは違うルートでサッカーしたいと思っている選手がたくさんいたので、視野を広げるきっかけになって、自分も海外を意識するようになりました。

サルウェブ:高校2年生の時に行き先をドイツに決めたとおっしゃっていましたが、ドイツに決めた理由やきっかけはありますか?

小平:まず、外国人枠がなかったことが理由の一つです。海外でサッカーをするとなった時に、いわゆる5大リーグのことを調べたんですけど、例えばスペインとかは外国人枠があったので、不利になるなと。その中で、ドイツは日本人を含めたアジア人が外国人枠扱いにならないということを知って、そこからドイツのことを調べるようになりましたね。

小平:あとは、自分の掲げる最大の夢、「世界中を大熱狂させるセンターバックになること」を叶えるためにも、ドイツが一番だなと思ったんです。ドイツは観客動員数が世界一で、イングランドやスペインとかよりも平均の観客数が多かったので。完全に自分の中で腑に落ちて、ドイツ行こうと決めました。

「世界中を大熱狂させる」という夢が自分を支える”軸”

サルウェブ:「世界中を大熱狂させるセンターバックになる」という目標はどのように生まれたのでしょうか?

小平:自分は中学の時からビッグマウスというか、大口を叩いて生きてきた部分があって、その分相当馬鹿にされたり(周りから)無理だよって言われてきたんです。
それでも、これは自分の人生だし主人公は絶対自分自身だという気持ちが強くて、周りになんて言われようと自分の為に頑張りたいという思いがありました。

でも、「高校を卒業したら海外に行く」と周囲に伝えた時に、思いのほか応援してくれる人が多かったんです。
その時から、今まで自分のためだけにやっていたサッカーがちょっとずつ変わってきたというか。自分だけじゃなくて自分の周りも見るようになったんです。

また、ちょうど同じ頃に見た武井壮さんのYouTubeで、「アスリートの価値は選手のクオリティではなく、その選手を見てどれだけの人が喜んでくれたり、感動できるかなんだ」という話をされていて。
その言葉も一つのきっかけとなって、自分の中の”アスリート像”が大きく変わりました。自分がちょうど実感していた事と似ていたので、すごく共感できたんですよね。

そこから、自分のためだけじゃなく、”自分の活動を通して何ができるか”ということを考えるようになって、今の夢にたどり着きました。

もちろん自分を満たす為、自分の野望の為に頑張るという気持ちや反骨心も大切だけど、それだけでは足りないと今は思っています。
もし仮に、今自分に圧倒的な能力やクオリティが備わっていて大きな舞台に立てたとしても、それを喜んでくれる人が居なかったら、価値が無いと思うんです。

自分が夢を叶えることが、結果的に応援してくれる人達の幸せに繋がってくれたらいいなと思います。

小平:実はドイツに渡って3ヶ月で怪我をしてしまったり、渡航してからも紆余曲折あったんですけど、「世界中を熱狂させるセンターバックになる」という夢が自分の軸となって、ブレずに続けてこれていますね。

未だに自分は結構大きいことを言うタイプなので、その分跳ね返りだったり、馬鹿にされることも沢山あります。でもそれに対する反骨心も、エネルギーになるんですよね。だから、そういうネガティブな声すら自分にとっては大切。この先も変わらず、大口叩きまくってやろうと思ってるくらいです(笑)

もちろん批判はされない方がいいんですが、無名で興味をもたれない状態が自分の中で一番嫌で怖いので。
だったら批判されてる方が、それだけ注目してもらえてるという裏返しだと思ってます。

カッコつけてナンボ。デカい事言ってナンボ。
今まで沢山笑われてきたけど、最後は自分が笑ってやろうと思ってます。
これからも、なりたい自分を目指し続けます。
世界中を大熱狂させるセンターバックになって、お前は俺の誇りって皆に言わせてやりたいです。

Q.実際に渡航するまでの準備について教えて下さい。

サルウェブ:ドイツに挑戦しようと決めてから、初めに起こしたアクションは何でしたか?

小平:本格的に動き出したのは、エージェント探しからでした。エージェント詐欺だったりそういったものはその時ちらほらと聞いていたので、相当念入りに調べましたね。価格だったり、紹介してくれるリーグだったり、エージェントごとの情報を全部リスト化して、整理してました。

サルウェブ:ご自身で調べて、たくさんの候補があった中で最終的な決め手はどこにありましたか?

小平:自分の場合は、完全に渡航できる地域でした。特に”デュッセルドルフに行きたくない”という想いが強くて。というのも、デュッセルドルフが日本人街と呼ばれるような場所で、日本語でも生活できるという風に聞いてたので、それだと行く意味がないなと思っていたんです。なので、それ以外の地域への渡航をサポートしてもらえるエージェントに決めました。

ちなみに今はフランクフルトにいます。フランクフルトにも、日本人はここ1、2年とかでちょっとずつ増えてきている印象ですが、デュッセルドルフに比べたら全然少ないので、自分としてはちょうどいいですね。

サルウェブ:渡航までの準備期間に苦労されたことなどはありましたか?

小平:コロナの影響で、高校を卒業してすぐの渡航が叶わなかったということもありますが、何より、留学に関して親との間で結構揉めてしまったことがすごく印象に残っていますね。

サルウェブ:親御さんの理解はどのようにして得られたのでしょうか?

小平:お金を貯めて納得してもらいました。高校2年生の終わりくらいから少しずつバイトを始めたんですけど、当時はサッカーの練習もあったので、まだあまり働けなくて。その分、高校を卒業してから、渡航を予定していた6月までの間にとにかく働きました。両親に、必要な資金を貯めたのでもう行かせて欲しいと伝えましたね。
正直かなり大変だったのですが、みんなに「絶対に海外にいくから」と言っていたので。それで行けないのもダサいじゃないですか。なので、死ぬ気で働きましたね。(笑)

センターバックとして勝負するため”体作り”にフォーカス

小平:お金を貯めるためにバイトを頑張っている時期は、入っていたクラブの社会人チームだったりユースの練習に混ぜてもらっていたのですが、正直ほとんど筋トレをしてました。
というのも、自分が高校1年生の頃は、身長が175cm、体重が58kgくらいしかなくて。センターバックとしてはどう考えても小さくて線が細かったんです。でも自分はセンターバックとして勝負したいという気持ちが強かったので、サッカーの技術よりも体作りをしようと思ったんです。そこからサッカーの練習よりもジムにばかり行ってましたね。

ドイツに行く前には80kg近くになっていて、サッカー選手というより筋トレ好きみたいになっていましたね。友達と遊びに行く時にプロテイン持って行ってたりしました。(笑)

サルウェブ:やはり海外のサッカーを観たり、意識する中で、現状のフィジカルではまずいという想いが強かったのでしょうか?

小平:というよりは、技術では勝負できないなと思っていたんです。正直、ボールを扱うという点では、今自分はドイツ5部でプレーしていますが、6部や7部でも自分よりも技術が上手い選手はたくさんいるんです。

ただ自分はポジションがセンターバックなので、”速くて強くて高ければ、使ってもらいやすい”という感覚があって。守れさえすれば、監督によっては気に入って使ってくれるだろうと思ってますし、技術を捨てたというのは言い過ぎかもしれませんが、フィジカルがあれば試合に出れるだろうと思ってます。なので、フィジカルを重点的に準備していきました。

サルウェブ:体を鍛えたことが活かされているなという感覚や、プレー面での実感はありますか?

小平:めちゃくちゃありますね。日本だと、筋トレをすると体が重くなるという風に言われていて、周りにもやめたほうがいいよとか言われていましたけど。良い意味で、そういった意見を無視して試行錯誤を続ける中で、結果として、ドイツに来てから7部、6部、5部と一つずつ上がれているので、手応えはあります。
海外に来ている日本人だとやはりフィジカルが課題と言われている選手が多いと思うのですが、自分はむしろ真逆で、フィジカルこそが通用していると思います。

Q.ドイツに渡航してからの流れについて教えて下さい。

小平:ドイツに渡航後は、エージェントの方からチームの候補を出していただいて、その中の4チームくらいのトライアウトを受けました。その内、声をかけていただいたチームから1つに決めたという形です。

サルウェブ:なるほど。チームを選ぶ上での決め手は何かありましたか?

小平:他のチームと比べて施設が良かったのと、練習の質が高かったです。7部のようなカテゴリーだと、普段は働きながら、趣味としてプレーしている選手が多くて、練習も遊びのようになってしまうチームもあったのですが、自分が入ったところはスパイクを履いてピッチに入ったらみんな集中してガチガチにやる雰囲気だったので、そこが良いなと思いました。

小平:渡航して約3ヶ月で怪我をしてしまった時は、やはり落ち込んだ部分も正直たくさんありました。でも、そこまで悲観的ではなかったというか。自分は今までのサッカー人生で大きな怪我とかをしてこなかったので、結構落ち込むかなと自分でも思ったんですが、怪我が治ったらもっと上手くなれるだろうというか、良い転機かなっていうぐらいに考えてましたね。

サルウェブ:怪我をされてから現地の病院を受診したり、そういった面でのサポートはエージェントがしてくれたのでしょうか?

小平:そうですね。エージェントさんがメインで病院に連れて行ってくれたりしました。あとは、エージェントさんの繋がりで、現地トップリーグのクラブでフィジカルコーチをやられている方にも見てもらえたので、その辺りは結構手厚かったです。

小平:10月末~11月くらいにやっとボールを蹴れるようになったんですが、その時にはもう当時のクラブでの自分のポジションがなくなってしまっていたんです。基本ベンチに座って、出られたとしても数分だけになっていて。特に1年目は試合に出て経験を積みたかったので、移籍した方が良いなと思って、エージェントさんに、冬に移籍をしたいという風に伝えました。
それで他のクラブに練習参加させてもらった結果、欲しいと言ってもらえたので、1年目の冬には2つ目のチームに移籍しましたね。シーズンの終わりまでプレーして、ほぼ全試合で90分フル出場して結構使ってもらうことができました。

サルウェブ:2つ目のチームで試合勘を戻したり、ドイツに慣れていくという時間を過ごしてから6部のチームに移ったかと思いますが、これはどのような経緯だったのでしょうか?

小平6部のチームから直接のオファーはいただけなかったので、夏に5~6個のチームの練習に参加しました。なかなか声がかからない中で、本当にギリギリまで粘って、6部の1つのチームに獲得したいと言ってもらえたので、そこに入ることができました。何がなんでも6部に上がりたいと思っていたので、決められて本当に良かったです。

小平:その後、本当はすぐに5部に上がりたかったんですが、それはうまく行かず。元々所属していたクラブのやめてしまった監督が、6部の別クラブで監督をしていて、そこから声をかけてもらったことがきっかけで、ギリギリのタイミングで移籍しました。

サルウェブ:ちなみに、監督が変わるというのは、頻繁に起こり得ることなのでしょうか?

小平:なかなか勝てなかったり、順位が低いクラブだとそういった入れ替わりはあると思います。ただ自分の場合は、監督だけではなくて他の選手やスタッフからも信頼を得られていると感じていたので、あまり(監督や選手の入れ替わりに関して)不安はありませんでした。

サルウェブ:そのような、他の選手や監督・スタッフからの信頼は、選手として生き残っていく上で大切だと感じますか?

小平:そうですね。(選手や監督との関係性は)選手として生き残るというか、こっちの生活を楽しむ一番の理由になると思っています。もちろん選手のキャラクターにもよると思いますけど、自分はオープンに色々な人と話すのが好きなので、関係性を築いていくことはすごく重要だと思います。

サルウェブ:そのように関係性を築いていく上で、初めは言葉の壁があったかと思うのですが、そのあたりの影響は感じましたか?

小平:そうですね。正直、本当にドイツに来てすぐの時は挨拶くらいしか流暢に話せなかったんですけど。あえて開き直るというか、相手も自分がドイツ語を喋れないのが分かっていますし、自分も縮こまるタイプでは無いので、逆に面白がってくれたり、可愛がってくれたりしました。

理想の環境を求めて練習場を突撃

サルウェブ:現在は5部のクラブでプレーされていると思うのですが、この移籍はどのように決まったのでしょうか?

小平今のチームとの契約は、僕が練習場に突撃したところから始まりました(笑)
更衣室で待ち伏せして、「今日参加させてよ」という感じで、契約を勝ち取りました。契約したのは2024年の1月ですね。

サルウェブ:それは凄いですね!5部リーグとなると、6~7部とはレベルが変わってくるという声も聞きますが、その辺りはいかがでしょうか?

小平:そうですね。自分の感覚にはなりますが、5部には、昔プロとかでやっていて実力はあるけど、今はキャリアの終盤でキレが落ちてきたような選手と、自分のように若くて上を目指したいっていうような選手の2種類がいる印象です。本気でサッカーをやれる、自分の求めていた環境だと思います。それこそ、タイの世代別代表の選手もいたりしますね。

あとは、プレーの質がもちろん変わりますし、それ以上に、戦術も含めて、監督の要求のレベルが高くなっているとは感じますね。

サルウェブ:渡航する前に思い描いていた自分の姿と、現状を比べて、どのように感じますか?

小平:ドイツに来る前は、特にサッカーの面で相当苦労するだろうなと思っていました。ドイツに来て、7部のチームに入った時も相当悔しかったですが、ただそれが現実だという風に受け入れた部分もあったので。そういったところから考えると、むしろ上手くいっているというか、自分が思い描いた通りに這い上がれていると思います。

Q.日本とドイツのサッカーの違いについて教えて下さい。

サルウェブ:日本のサッカーとドイツのサッカーの違いはどのような部分で感じますか?

小平:そうですね、一番大きな違いは”勝つことへの執着心”だと思います。例えば汚いプレーをしても、勝てればいいだろうみたいなスタンスなんですよ。自分が認められるために試合に勝つとか、試合で活躍するとか、実力だけじゃなくて目に見える結果が評価される世界だという風に感じます。特に自分のような留学生だったり、外国人は尚更ですね。

あとは、移籍があってチームが半年とか年に一回ペースで変わるのが新鮮です。高校生の時は1年生から3年生まで同じメンバーでやっていたので、団結力が高まっていったりしたのですが、こっちだと当たり前に1年もしくは半年でそれが変わってしまうので。そう言ったところがプロに近いなと感じます。常に選手が入れ替わるので結果を出さないと生き残っていけない環境になっていて。それが勝利至上主義というか、勝ち負けに対するマインドの違いにも繋がっていると思います。

サルウェブ:小平さん自身も、ドイツに渡ってからそういったマインドが強くなったり、変化しているのを感じますか?

小平:相当変わりましたね。例えばとりかごとかパス回しをする時に、ドイツの人は本当に中に入りたがらなくて。俺のミスじゃ無いからってすごく主張して、下手したら胸ぐら掴み合うくらいの喧嘩にまで発展しちゃうんです。日本だと、どっちでもいいから早く練習しようよってなると思いますし、自分も最初はそのスタンスだったんですけど、良くも悪くもそういう細かいことでも自分の主張を通そうとするみたいな考え方に、少しずつ近づいていると思います。

ドイツで身についた”奪う”守備

サルウェブ:プレー面では、ドイツに来てから成長したと感じる部分はありますか?

小平:よりアグレッシブになったっていう表現が適切かなと思います。もともと日本でプレーしていた頃も気持ちを前面に出して、相手とぶつかってというスタイルだったので。そこにフィジカル的な成長と、ドイツでの守備の仕方が身についていると思います。1年目の時と守備の仕方は全然別物ですね。

サルウェブ:ドイツで身についた守備の仕方というのは具体的にどういったものでしょうか?

小平:簡単に言うと、こっちの守備は抜かれてもいいんですよ。よく言われる点だとも思いますが、1対1の対人の時に、日本人は”見る”とか”守る”というディフェンスだと思うんです。ただ、ドイツでは激しくスライディングしてきたりとか、下手したらボールだけじゃなくて足首ごと刈りとられるくらいの守備の仕方なので、そこが全然違うなと思います。

サルウェブ:そういった”奪う守備”が身についてきているということですね。逆に、プレー面で今感じている課題はありますか?

小平:プレーの強度をあげることかなと思っています。5部以上のカテゴリーだと、センターバックって190cmがスタンダードの世界の中で、自分はスパイク履いて胸張って立っていても180cm程度。それでもセンターバックをやりたいってなると、「速く・高く・強く」という3つの能力を上げていく必要があるなと感じています。

Q.ドイツでの生活について教えて下さい。

サルウェブ:現在の住まいはどうされているのでしょうか?

小平:去年の夏までは、エージェントさんが提供してくれる住まいに、他の留学生と3~4人でシェアハウスのような形で住んでいました。
現在自分は、エージェントさんとの契約を解除したので、今は就労ビザをおろしていただいて働いている日本食レストランに、住む場所を提供してもらっている状態です。

サルウェブ:ドイツに住んでいて不便だったことや、困ったことなどはありましたか?

小平:一番は移動手段ですね。たまにチームメイトの車に乗せてもらうこともあるのですが、基本的には電車で練習に行くことになるので、(交通機関の)遅延で練習に行けなくなったりとかはよくあります。なので、そろそろ車を買おうかと思ってます。

環境としては、結構住みやすい場所だと思います。自分がどこでも寝られれば大丈夫というタイプなので、どこまで参考になるかはわからないですけど(笑)
少し高いですけど日本食もありますし、ドイツの人はすごく温かいので、そういった点はすごく良いなと思います。

サルウェブ:ドイツ人の気質が日本人と似ているという風によく耳にすると思うのですが、実際はいかがでしょうか?

小平:いや、似てないと思います。もちろん日本人も温かいですけど、(温かさの)種類が違うような気がしています。
ドイツでは、ドイツ人だけでなくて色々な文化の人が住んでますし、自分も含めて外国人も多いので、そういった人の多様性のようなものを受け入れる力がすごくあると思いますし、そこが日本との違いだと感じます。

どちらも、異なる魅力があると思いますけど、そういった多言語、多文化の環境を当たり前に受け入れられるというのが違いではあると思います。

サルウェブ:現在は1週間どのようなスケジュールで過ごされていますか?

小平:基本的には、練習が平日3~4回くらい夕方からあって、土曜日に試合という感じです。自分は今フルタイムで働いているので、週5日、基本的には朝9時くらいから17時半くらいまで(1日8時間)働いて、その後練習に行っています。

サルウェブ:なかなか大変なスケジュールかと思うのですがいかがですか?

小平:正直ハードですね。ただフルタイムで働くようになって、金銭的な余裕が出てきたのは相当大きくて。サッカー選手としてというより、ドイツに住む1人の人間としての生活には大分余裕が出るようになりました。

サルウェブ:サッカーでもらえるお金は7部でプレーしていた時よりも現在のチーム(5部)の方が増えていますか?

小平:変わりますね。自分の場合、今回は冬の移籍だったので正直そんなにみんながもらえるような金額はもらえてないんですけど。もし夏まで契約延長ができたら変わってくるかなと思いますし、自分みたいな留学生でも結構もらえると思います。

その上で、もらえる金額というのは本当にチームによると思います。例えば今自分が知ってるフランクフルトのクラブでも何チームかはサッカーだけで生活できるクラブもありますし。

サルウェブ:仕事とサッカーを両立されている中で、オフの時間だったり空いてる時間は、どのように過ごされていますか?

小平:正直、この生活を始めてから丸1日オフみたいなことは本当にたまにしかないんです。基本的にほぼ毎日働いて、練習と試合を合わせて大体週に4~5日くらいサッカーしていて、ジムも週5で行っているので。例えば朝ジムに行ってからちょっと友達とご飯食べに行くとか、(オフの時間は)そんな感じですね。結構移籍もしていますし、元々行動力はある方なので、結構交友関係は広いと思います。

サルウェブ:言語の面では慣れるまでにどれぐらいかかりましたか?

小平:正直、ドイツに来て半年くらいで、1人でも大丈夫だなという感覚がありました。まだまだ言いたいことをうまく伝えられないことも多かったんですけど、言っていることが理解できるとか、遠回しで教科書的な表現でも相手に伝えられるようになって、普通にコミュニケーションが成立するようになったのは半年ぐらいだったと思います。

言葉が身につくスピードは、本当に人によると思います。自分の場合、ドイツ語に関しては相当勉強した自信がありますし、実際に練習中とかも意識して話すようにしたり、自分の中で大事にしていた部分でもあったので、もしかしたら人より(習得は)早いかもしれません。

サルウェブ:言葉を相当勉強したと仰っていましたが、渡航してから独学で学んだのでしょうか?

小平:1年目は語学ビザだったので、渡航して1年間はドイツ語の語学学校に通っていました。あとは、高校3年生の時にもうドイツ行くことを決めていたので、少し単語とかワンフレーズを勉強したりしていましたね。

留学生にとってドイツ4部は一つの”壁”

サルウェブ:今季から、エージェントとの契約を解除して、個人での挑戦を初めているとのことでしたが、現状で感じている課題や大変なことなどはありますか?

小平:語学力が身についてきたというのもありますし、今のところは無いですね。ドイツの移籍に関しての細かいルールなども少しずつ知ってきているので。自分よりも長くフランクフルトでサッカーをしている選手が、今自分が働いている日本食の会社にいて。その方に聞きながら、あまり苦労せずに就労ビザを下ろすことも出来ました。ちなみに下ろしてもらえる就労ビザの期間は、申請の時の受付の人次第みたいで、自分の場合は3年間の滞在許可がおりたのですが、2年の人もいたり、同じ時期に申請に行っても期間が違っていて、運の要素もあるみたいです。(笑)

あとは、今後4部のクラブを目指すにあたって、ドイツ人の代理人を将来的にはつけなくちゃいけないなと思っています。
ドイツ4部は留学生にとっての壁の1つと言われていて、実際に4部でプレーしている選手は、目立ったプレーをして現地のエージェントに声をかけてもらうというパターンがほとんどなんです。当然自分の実力がないと無理ですし、たまにそういった現地のエージェントに声をかけてもらうこともあるのですが、怪しかったりもするので。慎重に精査しながら、いずれはそういった現地の代理人をつけられればと思っています。

Q.今後のキャリアについて教えてください。

サルウェブ:最終的な目標は「世界を大熱狂させるセンターバックになる」ということでしたが、そこに至るまでのプランや、現状考えている目先の目標などを教えてください。

小平:まずここから数年で4部に上がることが理想です。ドイツ国内での注目度という点で4部と5部の差は大きいですし、1人の選手として上を目指していくというのは当然だと思います。
また、自分のことを知ってもらえる機会や人と繋がることができる機会を大事にしたいなと思っているので、サッカー選手として上手くなっていくのはもちろん、国内外の日本人の方にどうやってもっと(自分に)興味を持ってもらえるか、という部分での取り組みもしていきたいと思っています。

サルウェブ:サッカー選手としてだけでなく、人としてという部分でしょうか。

小平:そうですね。選手としてのクオリティを上げるのは当然のことなので、それ以前に、自分のプレーを見たいとか、会って話してみたいとか、自分に対して価値を感じてもらえるような活動をしていければと思ってます。

サルウェブ:ちなみに、小平さんが今一番会いたい人は誰ですか?

小平:日本にいる皆です。最後に会ったのは1年程前の成人式になりますね。
その時も、成人式で大口叩いたので(笑)しばらく帰らない宣言してきた手前、若干言いにくいですけど、やっぱり会いたい気持ちはめちゃめちゃあります。

夢を追うのって当然それなりに苦しい事もあって。面白い事だけじゃないので、辛い事やりたくない事もやらなきゃいけなかったりする。
そんな時にくれる連絡とか電話は、本当に力になるんです。

向こうからしたら何気ない一言かもしれないですけど、自分にとってはなによりのガソリンになっています。
皆からは本当に多くを貰ってるので、返せる様になりたいです。

Q.最後に、海外挑戦を考えている日本人選手たちにアドバイスをお願いします。

サルウェブ:最後に、これから海外挑戦を考えている日本人選手に向けて、何か伝えたいことやメッセージがあればぜひお願いします。

小平:まず、自分には「世界中を大熱狂させるセンターバックになる」という大きな目標があって、ここまで色々とお話させていただいた全ては、その目標からの”逆算”になっているんです。なので、現時点と目的地(目標)の距離を自分の中である程度わかっておくことが必要だと思っていて。

例えば、プロになりたいとしても、じゃあ自分にとってのプロとは何なのかというところまで考えられているかどうか。その芯の部分がないと、例えば怪我をした時とか移籍が上手くできなかった時に、絶対気持ちがブレると思っています。自分がこれまで上手く行かなかった時にブレなかったのは、自分の中で”ありたい姿”があったからだと思うので。もちろん応援していただいているっていうのもありますが。

どんなエージェントさんを使うかとか、どの国に行くかとか、どれだけの期間滞在するかということは正直関係なくて。
自分が満足できるかどうか、”こうありたい”、”こうなりたい”という姿を自分の中で明確にすることが、一番大事なことだと思います。

サルウェブ:本当にすごく大事なことですね。小平さんも定期的に自分の目標やそれに対する現状を整理する時間などを取ったりするのでしょうか?

小平:そこは常に自分の中で意識しているという感じだと思います。もちろんサッカーは大好きですけど、トレーニングって楽しいことだけじゃないので、どうしてもやりたくないなって思うことの方が多いんです。朝遅くまで寝てたいですし、だらけたいなって時もあります。それでも、毎日ジムに行ったりドイツ語を勉強したり仕事を続けられてるっていうのは、やはり常になりたい自分を明確に意識しながら活動しているからだと思っています。
それを続けることで、無意識でもできるくらいに自分の中に落とし込むというのは自分の中で大事にしてますね。

サルウェブ:ありがとうございます。小平さんと同じように、高校卒業のタイミングで海外挑戦を考える選手は日本にもたくさんいますが、こうした選手の多くが、大学に進学するのか、サッカーで海外挑戦するのかといった選択肢で悩まれている印象を受けます。こうした選手に小平さんから何かアドバイスをいただけますか?

小平:人生の中で分岐点になるような、何かを決断しなきゃいけない時って絶対来ると思うんです。そういう時に、自分が大切にしているのは”後悔しない選択をする”という点です。例えば自分が大学でサッカーをやるか海外でサッカーをやるかという判断をする時に、仮に将来のことや安定することを優先して大学サッカーに進んだとしたら、「あの時海外にいく選択をしていれば」というモヤモヤが結局残ってしまうと思うんです。自分はそれを絶対になくしたくて。

大事なのは、他人がどうかではなくて、自分がどうしたいかをひたすら悩んで結論を出すこと。
そこに関しては正解や間違いがある訳ではなく、自分の選択が正しいと思うので、それを信じることだと思います。

今の自分みたいに、ずっと海外でプレーしたいという訳ではなくても、経験として海外でプレーしてみたいという人もいますし、そういう選択もすごく良いと思いますね。

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