File6. 吉野 裕太郎/Yutaro Yoshino

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本インタビューについて

15歳でブラジルに渡り約6年半プレーしたのち、日本でもプロとしてのキャリアを築いた吉野裕太郎さんとの対談です。(以下、敬称略)

プロフィール紹介

◯名前:吉野 裕太郎(Yutaro Yoshino)

◯所属クラブ:Y.S.C.C.アカデミークラス
⇨FC COJB Jrユース
⇨ユザノU20(ブラジル)
⇨SCリニャレンセ(ブラジル)
⇨ADグアルーリョス(ブラジル)
⇨エスペランサSC
⇨Y.S.C.C.セカンド
⇨Y.S.C.C

Q. 吉野選手のサッカーの経歴を教えてください。

吉野:小学校1年生の時にY.S.C.Cのアカデミークラスでサッカーを始めました。近所の友達に誘われたのがきっかけでしたね。

中学に入ってからは、当時家の近所でサッカースクールを開いていたCOJBというチームに所属。COJBの今野代表がブラジルでプレー経験のある方で、ブラジルと縁あるクラブだったんです。この出会いがすごく大きな転機となって、中学卒業後、15歳でブラジルに渡りました。

ブラジルではトータルで6年半くらいプレーしました。21歳の頃に日本に帰ってきて、関東リーグのエスペランサSCに所属。その後Y.S.C.Cセカンドチームを経由して、トップチームに行きました。

サルウェブ:海外でプレーすることやプロになるといったキャリアは小さい頃から思い描いていたのでしょうか?

吉野:小さい頃はずっと、マリノスに入りたいと思っていたんです(笑)なのでマリノスのジュニアチームのセレクションを受けたりしていました。チャレンジしては1次試験で落ちてみたいな感じで繰り返して。

もちろん当時はバルセロナとかロナウジーニョとか、海外サッカーも好きでしたけど、やっぱり頭の片隅にはJリーグに入りたいという気持ちがありました。

 

”このままじゃプロになれないかも”と思い、ブラジル行きを決断

サルウェブ:ブラジルに行くという決断をしたきっかけは?

吉野:Jクラブのセレクションを受けていく中で、あんまり思ったように行かなくて。高校サッカー部の推薦も全然声がかからなかったので、自分で受験してサッカーやる場所を求めなきゃいけない状況だったんです。

そんな時に当時所属していたCOJBの今野代表から、ブラジルに行く話をもらったのがきっかけでブラジル行きを決めました。

中学生なりに、多分このままじゃプロにはなれないかもなと思っていたんですよね。だからこそ、一か八かという感じでブラジルに渡るという決断をしました。

サルウェブ:それほどプロになることへの気持ちが強かったんですね。

吉野:そうですね、当時のチームメイトの中でも自分だけめちゃめちゃ燃えていた感じだったかもしれないです(笑)

練習試合とかで強いチームと当たると、全然まだまだ足りないなと感じて、コンチクショーって感じで練習を繰り返してっていう毎日でしたから(笑)

COJBでブラジル遠征があって、現地でブラジルの子たちと試合をしたこともあったんですけど、そこでも、全然自分はまだ足りないなと衝撃を受けたり。自分より上手い選手なんていくらでもいたから、それが逆にバネになっていたのかもしれません。

 

Q. ブラジルでの生活環境について教えてください。

サルウェブ:ブラジルでのチームはどうやって見つけたのでしょうか?

吉野:僕の場合、ブラジルでのプレーを勧めてくれたCOJBの今野代表が、ジュベントスというチームに繋いでくれました。

現地での生活も、今野代表が交流のあった日系のおばさんが面倒をみてくれて。日中はチームの練習に行き、その後現地の夜間学校に通うという毎日を繰り返していました。

サルウェブ:学校では他に日本人はいましたか?

吉野:全然いませんでした。言葉も全く話せなかったので、学校は本当に何もわからなかったですね。でも、なんとかなるという感じで飛び込みました(笑)

サッカーの面でも、中学生の時に行ったブラジル遠征で「すごいな、強いな」っていうイメージが既にあったので(ブラジルで絶対にプロになるって決めているものの)本当に自分でも通用するのかな、本当にプロになれるかなっていう迷いの中で生活していたのを覚えてます。

 

チーム探しと転校を繰り返す日々

サルウェブ:住まいはどうしていましたか?

吉野:チームの寮に入っていました。ですが、ブラジルでは大体8ヶ月くらいでシーズンが終わって、チームの寮も締め切られちゃうんです。

チームメイトは実家に帰っちゃうので、僕だけ行くとこが無く、また新たな場所を探さなきゃ行けません。お世話をしてくれていたおばさんに助けてもらいながら他のチームのセレクション受けたり練習参加したりして、チームを探していました。なので基本的に半年から1年くらいで毎回チームが変わっていましたね。

チームが見つかったらその近くの学校に入る、という繰り返しだったので何度も転校していました。もう、卒業した学校の名前も覚えていません(笑)

サルウェブ:バックパッカーのような生活ですね(笑)

吉野:そうですね(笑)

20歳頃までそんな生活をしていました。行く場所が無いときは、チームメイトの家に居候させてもらい、チームが見つかったら「じゃあまたね」みたいな感じの時もありました。

 

”プロになれるまで日本に帰らない”という気持ちが原動力に

サルウェブ:ブラジルでは何チームほど所属しましたか?

吉野:10チームくらいですかね?もう、数え切れないです(笑)

レベルの高いところを目指していろんなチームでプレーしました。すごくハイレベルなチームに行けたと思ったら全然ついていけなくて、一ヶ月でクビになったりとか、そういうのも全然ありました。

サルウェブ:チームが変わると、チームメイトはもちろん監督も変わるじゃないですか。その都度自分の中で良いプレーをして結果を出すって簡単なことではないと思うのですが?

吉野:そうですね。たぶん今だったらあんなに夢中でやれてたかなと思うくらい、当時は必死だったと思います。余計なことを考えずに、もうやるしか無いみたいな。

あとは、プロになるまで日本に帰れないと自分の中で思っていたので、そういった気持ちが原動力となって踏ん張れたのかなと思います。

サルウェブ:ブラジルに渡った後、日本にはじめて帰ってきたのはいつですか?

吉野:ブラジル生活4年目で晴れてプロ契約することができたので、その時に一時帰国しました。それまでは一回も帰らなかったです(笑)

その後、2年ほどブラジルでプロチームを2つほど経験してから日本に帰国しました。

 

Q. ブラジルでの生活で苦労したこと、良かったことは?

サルウェブ:ブラジルでの生活の中で、特に苦労したことは何でしょうか?

吉野:やっぱり寮生活は大変でした。一番少なくて4人部屋、多くて10人部屋とかが普通。プロの時も寮生活で、その時は3人部屋でした。

まあでも慣れてしまうと、みんな一緒で楽しくて。逆に皆が実家に帰ってしまって寮に一人だと寂しいなって感じでした(笑)

食事は用意されていましたし、その点は良かったのですが、スパイクとかお金とか携帯も、大体のものは盗まれました(笑)

サルウェブ:そういった盗難はブラジルでは日常茶飯事なのでしょうか?

吉野:一度、熱が出て寝込んでいた時にいっぱい盗まれたことがあって、お世話してくれていたおばさんに相談したんです。

そうしたら「盗まれるあんたが悪い!」みたいな感じですごい怒られて(笑)

ああ、ブラジルってそういう国なんだなって。ちゃんとしようってその時思いました。

日本では想像できない世界ですけど、チームメイトでも全然盗む人がいるので、ロッカーにお金入れないとか、そういう危機感をもって生活していましたね。そういう部分はぜひ気をつけて欲しいところですね。

 

ブラジル人の温かさに触れて人間として成長できた

サルウェブ:反対に、ブラジルに渡って良かったなと思う部分や成長できたと感じる部分を教えてください。

吉野:人間としての成長という面で、すごく良かったなと思います。自分自身、人見知りというか静かな性格だったんですけど、日本に帰ってきて周りの人に「すごく変わったね」と言われますね。まあ今でも静かな方かもしれないですけど(笑)

サルウェブ:変化のきっかけになるような出来事があったのでしょうか?

吉野:寮が締め切られて自分の行く先が無くなった時に、チームメイトの家で週末過ごさせてもらったりとか、スラム街のお金の無い家なのに「うち来なよ」みたいな感じで言ってくれてご飯まで出してくれたりとか、すごく良くしてもらったんですよね。すごく人に恵まれたなと思います。

また、一時はチームのキャプテンの家の倉庫みたいなところにベッドを置いて住まわせてもらっていたこともありました。

物が盗まれるとかそういう話もしましたけど、それ以上に、ブラジル人の情の深いところや温かいところにたくさん触れて、自分も変われたと思います。

なので日本人よりもブラジル人の友達の方が多いかもしれないです(笑)

サルウェブ:サッカー面で、プレーや考え方に変化はありましたか?

吉野:日本人は「自分が活躍すること」や「いかにステップアップするか」みたいな考えを持つ選手が多いイメージがあります。

これに対して、ブラジルはもちろん”個”の力はすごいですけど、俺が点取って俺が輝いてやる!みたいな選手が少ない印象を受けたんです。

自分がどうこうよりも、”チームが勝つため”というのが一番にくるんですよね。

チームが勝つために自分が上手くなろうとか、チームを勝たせるために活躍しようっていうブラジル人の考え方は本当に素晴らしいなと思いました。

これはプロであろうと、下部のチームだろうと共通しているんです。だからこそ試合前の円陣はどこのクラブに行ってもものすごく熱い。日本には無い部分なのですごく良いなと思います。

こういった、”チームのために”みたいな考え方が強くなったことが、ブラジルへ渡ってから得られた変化だったのかなと思います。

 

Q. 現地で感じた日本とブラジルの違いについて教えてください。

サルウェブ:練習の内容や雰囲気など、日本とブラジルの違いを感じた部分はありましたか?

吉野:まず、練習量で言ったら日本の方が圧倒的に多いですね。ブラジルは短時間で思いっきり集中的にやるっていうイメージがあります。

ブラジル人は結構怠け癖があるというか、本当にみんな練習が嫌いです(笑)

日本人はどちらかというと練習自体が好きだったり、練習してなんぼって感じの選手が多いですけど。

ブラジル人はあくまでも、練習=試合のための準備っていう捉え方なんですよね。

 

”ボールを動かしながら受ける技術”に基礎の大切さを痛感

吉野:プレー面でいうと、ブラジルって足元の技術がある選手ももちろんたくさんいるんですけど、中盤とかはツータッチで本当にシンプル。そしてトラップからのパスが本当に正確。まず相手の届かないところに止めるのでボールが奪えない。

一見華やかに見えるブラジルのサッカーですけど、常にボールを(足元に止めず)動かしながらトラップして味方に供給していくということを中盤でしっかりやっているんですよね。

強いチームの練習ではツータッチの練習が多かったんですけど、みんな基礎の質が高すぎてついていけなかったのを覚えています。

サルウェブ:”止めて蹴る”という基礎技術がやはり大事なんですね。

吉野:まさにですね。日本でもそういう練習はありますけど、日本だと足元に止めてすぐ叩くっていうような丁寧な練習が多い気がします。

でも、ブラジルでは足元に止めちゃダメ。より実践的って言うんですかね?足元にボールを止めると、スライディングでもタックルでも来ちゃうんで。

ブラジルのサッカーは華やかな部分に注目が行きがちですけど、現地で基礎の大切さを痛感したからこそ、基礎の質の高さからもっと影響を受けるべきだなと感じています。

 

”絶対できる”というメンタリティーの強さに衝撃を受けた

吉野:あとは、メンタリティの部分でも違いを感じました。

ブラジルの選手たちって、どれだけ技術が足りない選手でも、”俺は絶対にトップリーグで活躍できる!”って本当に思っているんです。

傍から見たら「まだ無理なんじゃないか?」って思われるような選手でも、”絶対できる”って思っているのが衝撃でした。

サルウェブ:日本人でそういった強い気持ちを持っている選手は少なそうですね。

吉野:そうですね。どうしても自分で「このぐらいしか行けないだろうな」っていうところで留まっている人は多いと思います。

自分がサンパウロ州4部でプレーしていた時のチームメイトの中からも、今世界のトップリーグで戦っている選手がでていたりするので。こうしたメンタリティというか、マインドを良い方向に保てることはすごく重要だと感じます日本でもやっぱりトップの選手は心の余裕がすごい。全然違うなっていうのを対戦して思いますし。

例えば自分がボールを持った時、相手が1m先に来たらプレッシャーを感じて焦ってしまうところを、トップの選手達はどれだけ相手が近くに来ても余裕を持ってプレーできるんですよね。どれだけ勢いよくプレスをかけてもずっと顔が上がってて。余裕を持って全体を見渡せているっていうのはすごく違いを感じるところですね。

 

Q. 帰国の経緯について教えてください。

サルウェブ:日本に帰ってプレーするというのは決めていたのでしょうか?

吉野:本当はもうちょっとブラジルにいたかったんです。当時所属していたチームでフル出場できていましたし。

「もう一年契約できる」っていう時に、労働ビザが更新できなくて帰国しました。ビザが切れるギリギリまで粘りました(笑)

日本に帰ってきてからチームを探したんですが、ずっとブラジルにいたので日本で全然ツテがなく、チームを見つけるのが大変だったのを覚えています。

とりあえず色々なチームのセレクションを受けて、最終的に関東リーグのエスペランサSCに入団しました。

 

ブラジルで培った経験を糧に食らいついたプロへの道

吉野:帰国して2年目の頃、今年Jリーグに行けなかったらサッカー辞めようと思っていたので、とりあえず動けるだけ動こうと思い、全Jクラブの問い合わせ欄に履歴書とか自分のプレー動画とかを送りつけたんです。全く返事はこなかったんですけど(笑)

そこで小さい頃所属してたこともあり、Y.S.C.Cの練習に2日間だけ参加させてもらえることになりました。

それをきっかけに練習試合にも呼んでもらえたんですけど、当時まだ所属していたエスペランサSCの公式戦と被ってしまったんです。

僕は練習試合に行きたかったんですけど当然許されず、思い切ってエスペランサを辞めて練習試合に参加しました(笑)

Y.S.C.Cがダメだったらもう行く場所がないという状況にも関わらず、結局Y.S.C.Cへの加入が認められず、「本当に行く場所が無いからなんとかならないか?」と訴えかけたんです。その結果、Y.S.C.Cのセカンドチームで練習しながら、トップチームを目指せばいいんじゃないかと提案してもらえて。

それで、半年間セカンドチームでプレーさせてもらって最終的にはトップチーム入りを果たせました。もう本当ギリギリで、運がよかったです(笑)

これもすごくブラジルでの経験が活かされてるなと思います。ブラジルに行く前の自分だったら、そういう決断や行動はできてなかったかもしれないです。

 

サルウェブ:他に、ブラジルでの経験が活きているなと感じることはありますか?

吉野:やはり、コミュニケーション能力は高まったのかなと思います。練習参加した時にガツガツ行くとか、自分に足りないところを監督に率直に聞くとか。

今でも覚えているのは、Y.S.C.C加入を逃した練習試合の後に「自分に何が足りないんですか?」みたいなことを監督に聞きに行ったんですよね。

監督も「もっとここ良くしたらチャンスあるかもしれない」と答えてくれて。で、セカンドチームでそこを磨いてからまたトップチームの練習参加に望みました。そういうアグレッシブな行動はブラジルで培われたなと思います。

練習参加ってあまり話しかけられたりもせず、結構孤独なんです。だからこそ、いかに自分が積極的に行けるかが大事だと思っていて。

これからサッカー留学をする選手たちは、自分から聞きに行ったりとかアグレッシブに行動していくのが大事だなって思います。

 

Q. 今後の目標を教えてください。

吉野:実は今年から、本気でフットサルをやることに決めました!

きっかけは、怪我と闘っていた昨シーズンに、Y.S.C.Cのフットサルチームでブラジル人選手の通訳をはじめたことです。

選手のみんなと一緒に帯同していて、フットサルの素晴らしさをすごく感じました。チームプレーを大切にしながら、個人の実力でも違いを見出せるように全力で練習に取り組んでいます!

やるからには、Fリーグで活躍して日本代表になれるよう頑張りたいと思います。

Q. サルウェブのサービスについて印象を教えてください。

サルウェブ:実際にサッカー留学を経験された吉野選手から見て、サルウェブの提供しているサービスに対してどのような印象を持っていますか?

吉野:やっぱり色んな国のサッカーエージェントと繋がっていることで選択肢がたくさんあるという点が本当に良いと思いますね。

あとは、サッカー留学において選手とエージェントの信頼関係は非常に重要だと思います。

そういった点でも、信頼のおけるエージェントをサルウェブが親身になって紹介してくれるというところが一番の魅力じゃないかなと思います。

サルウェブ:"選手とエージェントの信頼関係”を重要視した方が良いと思う理由について、詳しく教えてください。

吉野:サッカー選手としての人生は寿命が短くて、一つの選択で人生が華やかな方向にもそうでない方向にもガラッと変わり得るんですよね。

なので、エージェントが親身になって、その選手の良さやプレースタイルをちゃんと考えて寄り添ってくれるというのがすごく大事だと思うんです。上っ面の薄っぺらい関係性だと(選手を)どこかの国に送って終わり、になっちゃうので。

その選手のサッカー人生をより良いものにするためには、エージェントと信頼関係をしっかり築くことが一番重要だと思います。

そしてこれは、選手だけでなくエージェントにも伝えたいですね。お金も絡むし、選手の人生も左右することなので、本当に選手にとって良いサポートを提供して欲しいと思います。

こういった信頼関係を築いていく上で、サルウェブのような(中立的な立場からの)サポートはすごく大切な役割を果たすと思います。

Q. 日本にいる学生たちにメッセージをお願いします。

吉野:僕自身、幼いころからプロを目指してやってきて、上手くいかないこともいっぱい経験した上で今があると思っています。その苦しい中で自分のことを信じて突き進められるかというのが一番大事だと思います。

苦しいことを経験した分、喜びも大きいと思うので、どんな道でも自分を信じて「まずはサッカーが好きだ」という思いで楽しく頑張ってほしいです。

 

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