本インタビューについて
過去にアメリカへのサッカー留学を経験している生田翔さんと、当時生田さんのアメリカ留学をサポートしたZero-Zero株式会社 代表 假屋祐貴さんとの対談です。(以下、敬称略)
※Zero-Zero株式会社について詳しく知りたい方は、別ページをご覧ください。
Q. アメリカに渡航してから苦労したことはどんなことですか?
生田:アメリカについた瞬間から、そこには日本人もいなければアジア人もいない。田舎町のなかに大学がポツンとある感じでした。アメリカでの最初の夜はチームメイトの家に泊まらせてもらうことになったものの、何喋ってるかも分からないし、自分が何言いたいのかもわかんない、みたいな状況でした。
今思い返せば「しんどかったな」って思うんですけど、その時はもう生きるのに必死だったので、そんなに大変だなと思うこともなかったですね。
その頃はスマホが出たきたばっかりでまだそこまで発達していなかったので。電子辞書を片手に持って、とりあえず単語で伝えたいことを伝えるみたいな。単語を辞書で打って、相手に見せて会話するっていう。本当になんかアナログですけど、そんな感じでやってて。(笑)
チームメイトにも色々な国からの留学生がいて、ブラジル・コスタリカ・スウェーデン・アフリカとかから来てる選手もいたんですよね。だから英語が喋れない選手への寛大さというか優しさみたいなものは全チームメイトが持っていたので、英語が話せないからいじめられるとかは全くありませんでした。むしろチームメイトがみんな親切丁寧に(会話や日常生活の)サポートをしてくれたので、色々しんどかったんですけど、それ以上に環境の良さに救われたなと今は思っています。
サルウェブ:アメリカの大学サッカーはどのような感じでしたか?
生田:アメリカに渡ってから、僕は常に試合に出ているような選手ではなくて、ベンチにいるけど試合には出たり出なかったりで、選手として成功を納めたわけではありませんでした。
2年目の時、チームに良い選手が多く入っていたことと運も重なり、全米大会に出場することができました。その後もトントン拍子で勝ち進んでいき、最終的に全米大会を優勝することができたので、良い経験にはなったかなと思ってます。
チームの戦力的にも、僕たちがずば抜けて強かったわけでもないし、前評判が高かったわけでもないと思うんです。ただ僕が一番印象に残っているのは、チームの仲が良かったっていうのはすごい覚えていますね。
僕はレギュラーでもなかったし、ずば抜けて上手いわけでもないけど、みんなすごく優しく接してくれてました。2年目でまだ英語もままならない状態なのに、ちょっと出かけるって言えばいろんなところに連れてってくれたり。練習の雰囲気も良かったですし、チーム内でいろんな人種の選手がいる中で、差別的なこととかもなくて。単純に、居心地がすごく良かったです。
假屋:翔くんがチームのみんなから気に入られたのは、人柄ですね。柔らかいタイプで天狗にもならず、あんまり自分のことを言わないし主張しない。逆にそれが、みんなに受け入れられたんだと思います。
コスタリカ人とか、めちゃめちゃ個性が強いんですよ。今でもInstagramで繋がっていますが、いまだに筋トレの写真とかアップしてる。(笑)
Q. アメリカと日本のサッカー環境の違いについて、どのように感じていますか?
サルウェブ:なるほど。サッカーをする環境はどうだったのでしょうか?
生田:僕らの大学は、アメリカの中でもそんなに大きい大学ではありませんでしたが、天然芝コートが2面あったり、屋内練習場もあったので、日本の大学と比べると確実に設備や環境は良かったと思います。
練習時間はそんなに長くなくて、1.5時間~2時間くらいで集中して練習するっていう感じでした。練習をしすぎないところは日本とは違いますね。
技術的なところで言えば、日本の方がサッカーのスキルは高いと思います。ただ、フィジカル面では圧倒的に強度が違います。僕で言うと、背も小さいしフィジカルも強くないですけど、大柄な選手がいる中で小回りが効くみたいな感じで。少し重宝してもらえたかなと。
假屋:翔くんは当時、チーム内で13番目ぐらいの選手だったんですけど、面白いチームでしたよ。
右サイドバックにアイルランド人のキャプテンがいたんですけど、身長は翔くんとあんまり変わらないくらいだったんですが、90分間走り続ける選手でしたね。これは本当に、どこまで走り続けるんだ、どこまで諦めないんだっていうくらい。アイルランド人ならではの熱い心があるのか、本当に別格でした。
そして両ウィングには、コスタリカ人のアンダー世代の代表が2人いたんで、中にも切り込めるし、縦にも行けるし、という感じで。
翔くんはボランチとか中盤でしたね。日本でもそんなに足が速い方ではないけれど、アメリカに行くと、もっとそう感じるんですよね。そうなった時に、(スピードで勝負するのではなく)真ん中でボールを裁くしかできないっていうのを翔くんは感じたことなんじゃないかと思います。周りを見渡せば色々な国の人がいる環境下でサッカーができるというのは、アメリカサッカーの良さだと思います。
サルウェブ:アメリカでは、チームによっては国籍もサッカーのカラーもバラバラなんですね。
假屋:ちなみに僕がいた大学は、監督がドイツ人でアシスタントコーチがアイスランド人でした。そして、アイスランド人の選手が10名ほどいました。
ちなみに、アイスランドという国は、国からの教育制度で留学費用がほぼ無料なんですよ。スウェーデン・ノルウェー・アイスランド・デンマークなどのスカンディナヴィアの国々は、国の教育制度が非常にしっかりしているので、ほぼ無料で留学できるんですよね。だからアシスタントコーチがアイスランド人を大量に連れてくる、みたいな。(笑)
Q. アメリカで上手くいきやすい選手の特徴はありますか?
假屋:さっきも言ったように人柄ですかね。
圧倒的な技術があれば、嫌われても別に問題ないっていう選手もいるんですよ。選手の中には実は。
でも、やっぱり本田圭佑さんみたいな選手は日本に少ないので、一般的に翔くんのような性格で、みんなが助けてくれるような存在にならないとアメリカのような地では成功しにくいんじゃないのかなって僕は思いますね。
生田:それは確かに大事かなと、振り返ってみてそう思いますね。
僕のいた大学が、個性が強い各国から集まったチームだったので、もちろん僕も思ったことは伝えたとしても「主張しすぎない」というか。自分が個性を出し過ぎても、他の各国の濃い個性には確実に負けるんで。(笑)
なので、何かおかしいなって思うことがあっても「こういう人柄なんだ」って受け入れて、うまく立ち回るみたいなところが出来れば、仲間とか監督からも気に入ってもらえるのかなって思います。これはサッカーの技術と別の話ですけど、大事なことかなと思います。
假屋:よく「アメリカでは自分の思っていることをはっきり言った方が良いぞ」みたいなこと言いますけど、みんながみんな言えるかというとそうではない。技術や能力があって自身のある人は、思ったことをパッと言うと思うんですよ。でも全員がそうしてると、おそらくチームとしては崩壊する。
生田:良い意味で「空気を読む」のは大事なことですよね。
アメリカの大学の場合、自分に合わないと思ったら「編入」できる
サルウェブ:監督やコーチからのマネジメントの部分はどうでしたか?
生田:「監督の言いなり」みたいな感じはなかったですね。割と、選手の自主性を尊重してくれていました。
個性の強い選手は、監督の指示に対しても意見を言っていましたし、そこで議論が白熱することもありましたね。
假屋:例えばですけど、日本の大学でサッカー部に入って監督と対立してしまうと、他の大学に編入するっていうのはほぼできないじゃないですか。
でも、アメリカって大学の編入が普通にあるんですよ。アメリカでは監督と対立して干されてしまっても編入ができるので、次の大学に行けるんです。
だからこそ、監督がトップダウンでできないマネジメントになっているのかなって思いますね。監督が言い過ぎると、みんな辞めて行くっていう。だからそこは(マネジメントする側が)うまくやらないといけないところですね。
ただ、選手側もスカラーシップを貰っている場合は上手くやらないと(スカラーシップを)もらえなくなってしまったりもするので、全てにおいて駆け引きが必要です。(笑)
サルウェブ:そういうときこそ代理人(エージェント)の存在が重要というわけですね。
假屋:選手からスカラーシップについて相談があった時、提案を通すために、今が監督に交渉するべきタイミングなのか、もう少し後にした方が良いのか、などをこちら側でコントロールしてあげることも重要だと思っています。