本インタビューについて
過去にアメリカへのサッカー留学を経験している生田翔さんと、当時生田さんのアメリカ留学をサポートしたZero-Zero株式会社 代表 假屋祐貴さんとの対談です。(以下、敬称略)
※Zero-Zero株式会社について詳しく知りたい方は、別ページをご覧ください。
プロフィール紹介
◯名前:生田翔(Sho Ikuta)
◯出身:北海道札幌市
◯所属クラブ:コンサドーレ札幌Jr.ユース
⇨ マーティン・メソジスト大学
⇨ ケンドール大学
⇨ 楽天株式会社
Q. アメリカに留学するまでの経緯を教えて下さい。
生田:中学生まではコンサドーレ札幌の下部組織でサッカーをしていて、高校からは私立の北星学園大学附属高校のサッカー部に所属していました。
(北星学園大学附属高校は)強くはなってきているものの、全国常連とかではなく、「自分たちの代で全国行けたら」というような感じでその高校に入りました。しかし最終的には全国大会へは行けず、全道大会(北海道大会)で負けて終わった。ここまでが高校までの話ですね。
サルウェブ:なるほど。小さい頃から海外には興味があったのですか?
生田:小学生の頃から英会話教室に通っていたり、塾で英語も勉強していたので、小さい頃から海外に興味はありました。ただ、高校卒業後にいきなり「海外へ行こう」とはまったく思っていませんでした。
もともとは、北海道に教育大学があったので、高校卒業後はそこに行きたいなぁと思っていたものの推薦入試で落ちてしまい・・・。その時は「どうしようかなぁ」と思いましたね。(苦笑)
センター試験の時期も近づいてきて、浪人するか、東京の私立大学や国公立大学も受けるか、とか悩んでいたとき、ちょうど高校3年生の12月ぐらいに(偶然が重なって)当時アメリカにいた祐貴さんと知り合い、そこからSkypeなどで何度も相談に乗ってもらっていました。
その辺りから「アメリカに行こう」と決意が固まってきて、1月~3月頃に僕がプレーしている映像を祐貴さんがアメリカの大学に拡散してくれました。いくつか行けそうな大学が出てきた中で、もともと祐貴さんがアシスタントコーチをしていた大学へ行こうと最終的には決めました。
なので、もともと高校卒業のタイミングで海外へ行きたいとは思っていなかったのですが、期せずしてチャンスが来たので決断した、という感じでした。
当時はまだ日本人選手のアメリカ留学は主流ではなかった
サルウェブ:假屋さんにとって、生田さんはどのような印象ですか?
假屋:(生田さんと)初めて出会ったのは10年前くらいだよね?(笑)
生田:そうですね。
假屋:正直、今振り返っても自分がどのように考えていたのかあまり分からないことでもあるんですけど、そもそも当時は「日本人がアメリカへ留学に行く」っていうマーケットが全然なかったんですよ。個別で留学サポートをしている人はいましたけど、彼らもたまたまアメリカへ仕事で行って(もともとサッカーをしていたからという理由で)ボランティアでやってるみたいな感じな人が多くて。
ただ、その時からイギリスとかブラジルとかからは色々な代理人がアメリカに入ってきていたんです。翔くんのチームで言えば、まず監督がアイルランド人。そして同じ大学には、5~6人くらいのアイルランド人選手がいました。
そのアイルランド人の監督はラテン系の選手もすごく好きでしたね。コスタリカは本当に良い選手が沢山いて、U-17やU-19の代表選手を2人も取っていたりもして、この選手たちは自分も本当に良い選手だなって思ったぐらいです。ブラジル人の選手とかもいましたね。
生田:確かに。スウェーデン人の選手とかもいましたね。(笑)
假屋:本当に、意外とアメリカの大学には、当時から色々な国の選手たちがいましたね。
なので、翔くんが(アメリカへ行きたいという)アプローチをして来てくれたおかげで、(日本人選手のサッカー留学をサポートするという)今のZero-Zeroが成り立ってスタートできたということもあり、ちょっと目線は違いますけど、そういった意味で翔くんは一番感謝してる選手でもあります。
当時、(生田さんが通うことになる)大学に僕も通っていたのですが、僕はその次に大学院に行くことが決まっていたので、翔くんが来た時に僕はいなかったんです。翔くんのいたチームは2年目で全米大会で優勝しているんですけど、その決勝の試合に車で8時間くらいかけて会いに行き、その時に初めて直接会いましたね。
翔くんは結構前例にない感じで、2年目にサッカーで全米優勝、3年目には学校を編入をしてサッカーも辞めています。今までJリーグの下部組織でしっかりとサッカーをやってきたような選手が「サッカーを辞める」っていう決断は、結構ハードル高いじゃないですか?(笑)
でも、それをやっている選手なんですよね。そして今、日本の誰もが知る楽天株式会社で働いているというのは、ストーリー的にはだいぶ面白いかなって思いますけどね。笑
スカラーシップを獲得できれば、日本の大学への進学と同じくらいの費用感になることも
サルウェブ:当時、高校卒業後にアメリカへ行きたいと伝えた時のご両親の反応はどうでしたか?
生田:そうですね。両親は良くも悪くも寛容で。北海道の教育大学に落ちて自分が「どうしよう」と言っている時も、そんなに気にする素振りはなくって。そこから色々繋がって祐貴さんと話をして、そこで初めて「アメリカに行きたいんだ」っていう話を両親にしたんですよね。
それで、母親に言った時は「行っちゃいなよ」と快く言ってくれて、父親にも後日言ったら「いいじゃんいいじゃん」みたいな感じで、そんなに(アメリカ行きを)止められたとかなくて。僕が決めたことだったらいいんじゃないかなって感じで、快く了承してくれました。
海外留学になると一番のハードルが金銭面のことだと思うのですが、スカラーシップ(奨学金)が出れば、例えば北海道から出て東京の私立大学で大学生活を送ることと(金銭的には)そんなに変わらないっていうのは両親も理解してくれまして。それもあってゴーサインを出しやすかったのかなと思います。
假屋:サッカーの実力的に言えば、今のプレミアリーグやプリンスリーグっていう日本の高校のトップリーグでプレーしている選手たちは、アメリカの大学からスカラーシップ(奨学金)が出る可能性は高いです。
一方で、スカラーシップがまったく出ないときのことを考えると、四年制大学へ進学するために必要な費用は年間で平均400万円くらいかかります。これは学費・寮費が含まれているものの、単純に考えれば日本の大学より高いはずなんですよ。
日本の大学だと、(入学金などがあって)おそらく1年目に多めに払って、2年目~3年目で金額が少し下がっていくイメージですけど、アメリカは学年が変わって安くなったりしません。ちなみに四年制大学だと年間300~700万円くらい、二年制大学だと年間150万円みたいなところもあります。
そこで、学費を下げるためにスカラーシップを毎年大学に申請をしていって、貰える金額をどんどん上げていく。それで日本人選手たちの支払いをどんどん下げていくというやり方がメインになります。
なので、選手ごとで多少対応は異なりますが、基本的にはまず初めに「何年制の大学を希望するのか」「金銭的なハードルはクリアできそうか」などをヒアリングします。その後、選手のクオリティーをこちらで見て、スカラーシップが取れそうか、(要望に対して)私たちがサポートできるかどうか、などを判断するような流れになりますね。
Q. アメリカへ渡航するまでに苦労したことを教えて下さい。
生田:そうですね。たしか最終的に進学する大学が決まったのが、高校3年生の3月ぐらいだったと思います。
アメリカの大学へ進学する場合、TOEFLのテストを受けないといけなくて、高校2年生の4月ぐらいに一度受けたんですが散々な点数だったんですよね。正直いうと、自分自身でアメリカ留学を少し甘く考えていた部分もあり、英語の勉強もそれまでそんなにしていませんでした。(笑)
ですが、TOEFLの点数があまりにも低くて・・・。普通だったらどこのアメリカの大学にも英語力で引っかからないレベルだったので、そこから努力して英語の勉強をしたり、祐貴さんが上手くサポートをしてくれたお陰で、無事進学先を見つけることができました。
アメリカ留学にTOEFLの点数は必須。四年制大学を目指すなら61点以上。
サルウェブ:そうだったんですね。ちなみにTOEFLは目安として何点くらい必要なのでしょうか?
假屋:四年制大学を目指す場合、TOEFL120点満点の半分以上(61点)を取らないと難しいかなと思います。TOEFL61点~80点ないと四年制大学には受からない。二年制大学の場合も、昔は「TOEFL30点~40点でも入れます」みたいなところがいっぱいあったんですよ。それが徐々に変わってきていて、今は二年制大学でも最低でTOEFL45点は必要。二年制大学でもTOEFL61点ないと入れないっていうところとか増えてきています。
なので「日本にいるうちに(英語の勉強など)ちゃんと準備をしなさい」ってのが、僕の今のスタンスですね。
サルウェブ:ちなみにTOEFL61点はどのくらいのレベルなのでしょうか?
假屋:基本的には、英検2級から凖2級くらいなんですよ。なので結構勉強しないと大変なんですよね。(笑)
もし仮にTOEFLの点数が足りないとなった場合は、半年~1年遅らせてアメリカへ行くのはどうかっていう提案をしています。
サルウェブ:なるほど、ありがとうございます。他に、假屋さんにはどのようなサポートをしてもらったのでしょうか?
生田:入学関連の手続きとかビザのこととか。基本的には自分で進めつつ、何か困ったら祐貴さんにその度に相談をしていました。
あと、大学との間に発生するやりとりとかは全て祐貴さんにサポートして頂いたので、(入学手続きの部分での)個人的な苦労みたいなものは正直あんまりなかったです。ひたすら用意していただいたものに対応するような形でした。
假屋:アメリカの大学へ提出する願書とかも、日本人から見ればすごい複雑で、そもそもファーストネーム・ラストネームってなに?みたいな。(笑)
結局僕が全部することになるので、だったら初めから手伝った方が良いかなと思ってサポートしていました。